デザイナーから見たAI時代

デザイナーから見たAI時代

AIってすごいですね。日々目まぐるしく進化して、日々驚かされることばかりです。
夢が広がる側面もあれば、一部にはまだ法整備の部分も含めて混乱もあるかもしれません。
今回はブランドを支援している組織の制作者視点で感じていることを綴ってみようと思います。

私はデザイン領域に席を置いているため必然的にその方面でのお話になります。ジェネレーティブAIによる画像生成はMidjourneyやstable diffusionが有名ですし、先日Adobe Fireflyが日本語対応され、より我々にも扱いやすいものになりました。動画が作れたり、CGが作れたり、他にもロゴやパッケージデザインを作れちゃうなんてものもあるようで、なんだか色々できるようになりつつありわくわくします。
クリエイティブはAIには難しいとも言われていましたが、そう遠くないうちにある面では十分なクオリティを簡単に得られるようになるのかなと想像しています。
少し前から広告やデザイン周辺で、AIを使った色々な取り組みがされているのは見ていましたが、ここ最近すごく話題になっているのは、そのハードルが下がり急速に裾の尾が広がってきているためでしょう。

そんな時代が訪れた時に、我々デザイナーやアートディレクターやブランドの中にいる人、つまり人々のコミュニケーション(=表現)において日々格闘している人たちにとって、AIは何をもたらしてくれて何が重要になってくるのか。そんなことを考えてみました。

少し話が飛びますが、商業やマーケティングという範囲でのデザインやコミュニケーションで言えばせいぜい160年程度の歴史ですが、表現という点において、アートと呼ばれるものはもっと歴史が長く、そしてその時代の最先端にあるのではないかと思ったりもします。デザインだアートだというのも少々野暮な気もしますが、表現という括りではアートは大先輩にあたるわけです。その中でも絵画を例にとりその変遷をざっくり概論的に振り返ると、以下のような流れがあるかと思います。

宗教画は教義を伝えるものとして布教のためにあり、その後その枠組みを超え貴族達の肖像画が生まれてきます。
そこではリアリティや美しいものに価値がおかれました。そして写真が登場します。写真の登場により表現の意味は大きく変わります。単純な写実性だけで言えば写真のほうが簡単に実現できます。
では絵画の価値は失われたのでしょうか。アーティスト達はその枠組みを超えていきます。抽象画が誕生します。マティスは現実にない色味を採用し、ピカソは形に自由をもたらします。カンディンスキーは具体から脱却しました。さらにデュシャンはアート自体に問いを投げかけ、ウォーホールは複製を用いて記号化をアートに持ち込みました。これら全てに共通することは、時代が流れるとともに既存の概念から新しい価値を生み出していったということ。これまでの歴史を踏まえて新しい挑戦をする。おそらくそれは「文脈」と呼ばれるものなのかもしれません。

偉大なアートの巨匠の例を出したので大変恐れ多いのですが、こういった大きな運動だけでなくデザインや言葉も大きな「表現」という括りに含めて考えるのであれば、日々細かいところできっと誰もが行っている営みなのだと思います。何か作ったものが人の目に触れる時には、この「何を考えたか」「それをどう表現するのか」という2種の過程を経ているといえるでしょう。AIが主に助けてくれるのはおそらく後者。しかも使い方によってすごくスピーディーに大量に助けてくれます。人間が試作できる数というのはどうしても物理的な制限がありますが、AIはその制限を取り払ってくれるものになり得るかもしれません。
だからこそ重要になってくるのが「何を考えたか」。ゴールがわかっていないと走り出しても目的には辿り着けないものです。
AIによって生成されたクリエイティブは一見簡単に瞬時に生み出せてしまうもののようにも思え、人間が生み出したものの価値がなくなるのではないかと感じる人もいるかもしれませんが、そうでもないように思っています。
ブランド発信でも個人発信でもコミュニケーション(=表現)において、人に理解や共感を求める自我のようなものがある以上、この「何を考えたか」というところによって差別化は生まれてくるし、何かしらの価値も生み出されていくものと思っています。

もう一つ重要になってくるのではないかと思うのが「誰が作ったか」。
生成AIの精度が上がれば表現の民主化はより加速していくでしょう。
これは喜ばしいことであり、これまでの様々なツールやテクノロジーが可能にしてきたことの延長でもあると思うのですが、クオリティの下限が押し上げられアウトプットとしてフラットになる傾向はあるかもしれません。

前述の「何を考えたか」というところでも触れましたが、何かしらの差別化要素は生まれてくると思いつつ、短期的な視点でいうとそれはハイコンテクストなものである可能性もあります。そうなると瞬発的なコミュニケーションにおいてはやや受け取りにくいものになることもあるかもしれません。そしてそんなギャップを埋めるのが「誰が作ったか」だと思っています。「あの◯◯◯が発信しているから」「あの◯◯◯のクリエイティブだから」ということでより積極的に受け取りにきてくれる状態を作っておけるか。「◯◯◯」は個人のデザイナーの場合もあるし、ブランドや会社など組織の場合もあるでしょう。情報が溢れ有益なものがわからなくなった時、インフルエンサーが影響力を持っていったようなことに近いかもしれません。そう考えると自分達をブランディングする重要性はますます高まってくるのかもしれません。

改めてですが、ジェネレーティブAIを取り巻く環境は本当に日々目まぐるしく、日毎に新しい情報を見かけ、開発している人たちの熱意や勢いを感じます。
表現手法や媒体は一定のものではなく、常に時代によって変化しているものなのだとは思います。
そういう変化の節目を体験できているのだとしたら面白いですし、そういう時だからできることもきっとあるのではないかと思います。

AIは表現において膨大かつスピーディーにアウトプットすることを助けてくれます。我々はAIを活用しつつ、どんなコミュニケーション(=表現)をしていくべきかを、日々思考し続けることが今このタイミングにおいて健全なのかもしれません。